伊達公子  クルム伊達

伊達公子


基本情報

ラテン文字名 Kimiko Date
フルネーム Kimiko Date Krumm
国籍 日本
出身地 京都府京都市
生年月日 1970年9月28日
身長 163cm
体重 53kg
利き手 右(本来は左)
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴

デビュー年 1989年
引退年 1996年
ツアー通算 8勝
シングルス 7勝
ダブルス 1勝
生涯通算成績 294勝143敗
シングルス 235勝97敗
ダブルス 59勝46敗
4大大会最高成績

全豪 ベスト4(1994)
全仏 ベスト4(1995)
全英 ベスト4(1996)
全米 ベスト8(1993・94)
キャリア自己最高ランキング

シングルス 4位
ダブルス 60位
Template
伊達 公子(だて きみこ、本名:クルム 伊達 公子(クルム・だて・きみこ)、1970年9月28日 - )は、日本の女子プロテニス選手。京都府京都市上京区出身。




[編集] 人物
身長163cm、体重53kg。日本人の女子テニス選手として、史上初の世界ランキングトップ10入りを果たした選手である。シングルス自己最高ランキングは4位(1995年11月)。WTAツアーでシングルス7勝、ダブルス1勝を挙げ、4大大会の女子シングルス準決勝に3度進出した。本来は左利きであるが、子供の頃に右利きに直された。そのため、テニスの試合でも相手選手がバックサイド(左側)に打ってきたボールを左打ちする場面がしばしば見られた。また現在でも、日常生活では左利きを多用する傾向にあり、ファンサービスでサインを供する場面においても、左手を多用する。

伊達は「ライジング・ショット」の名手として、世界的にも有名な選手であった。これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の上がり端を打ち返す、非常に高度な技術である。世界トップ選手へと躍進し始めた頃の伊達は、当時のテニス界で“ライジング・サン”(Rising Sun)と呼ばれたという。


[編集] 戦歴

[編集] アマチュア選手としての活動
6歳の時から、京都市北区にあるテニスクラブ「セブンスリー」でテニスを始める。

滋賀県大津市に転居後、京都市山科区にある「四ノ宮テニスクラブ」でレッスンを積む。このクラブのオーナーである竹内穣治は、現デ杯監督・竹内映二の父親である。中学校時代に滋賀県テニス選手権で優勝した。

中学卒業後は兵庫県尼崎市にあるテニスの名門校・園田学園高等学校で、光国彰(みつくに・あきら)監督の指導を受けた。

1988年のインターハイでシングルス、ダブルス、団体優勝の3冠獲得を達成する。高校卒業後の1989年にプロ転向した。


[編集] プロ選手としての活動
1996年7月4日-5日の2日間にわたり、ウィンブルドン準決勝でグラフと最後の対戦をする。第1セットはグラフが 6-3 で先取したが、第2セットを伊達が 6-2 で取り返したときに試合が日没順延となり、翌日に持ち越された第3セットはグラフが 6-3 で取ったため、日本人選手初の4大大会決勝進出はならなかった。
アトランタ五輪でも女子シングルスのベスト8に進出し、アランチャ・サンチェスに惜敗する。しかし8月25日、アメリカ・サンディエゴで開かれた「トーシバ・クラシック」決勝戦でサンチェスを 3-6, 6-3, 6-0 で破り、WTAツアー7勝目を挙げた。
9月24日に現役引退を宣言。WTAツアー年間最終戦の「チェイス選手権」2回戦で、当時16歳のマルチナ・ヒンギスに 1-6, 2-6 で敗れたのが現役最後の試合となる。世界ランキング8位での引退だった。
2008年4月6日、現役復帰を決意したことが報じられた[1]。4月7日に復帰記者会見を行い、12年ぶりにツアープレーヤーとして再びコートに立つことを表明。現本名の「クルム伊達公子」でプロ登録した。
2008年4月27日、カンガルーカップ国際女子オープンのシングルス予選で現役復帰。逆転勝ちで復帰初戦を飾った(岐阜市の岐阜メモリアルセンター長良川テニスプラザにて開催。)その後、決勝まで進んだが、タマリネ・タナスガーン(タイ)に敗れ、準優勝に終わった。また、ダブルス決勝では、ニコル・タイセン(オランダ)メラニー・サウス(英国)組を破り、優勝した。
4大大会でのシングルスベスト8入り6回、そのうちベスト4入り3回はどちらも日本女子選手歴代最多。

グラフ選手との試合のほかに(通算対戦成績は1勝7敗)、スペインのコンチタ・マルチネス選手には「6勝2敗」と大きく勝ち越した。またアメリカのリンゼイ・ダベンポート選手の若き日の好敵手でもあった。


[編集] エピソード
2000年2月6日-8日にかけて、シュテフィ・グラフの「引退世界ツアー」で日本の対戦相手に指名され、東京体育館、名古屋レインボーホール、大阪城ホールの3会場でエキシビション・マッチを行った。

2001年12月1日、ドイツ人レーサーのミハエル・クルムと結婚。これに伴い本名は「クルム伊達公子」となり、一部の新聞などで注釈がつくことも。2008年の現役プロ復帰にあたっては現本名を登録名とした。

伊達の世界的な活躍は、日本の女子テニス界にも計り知れない刺激を与えた。1995年の全米オープンでは実に8人の日本人選手が本戦に直接出場するなど、伊達が活躍した時代は日本勢全体の活躍が目立った時期であった。しかし、伊達の引退後、日本の他のトップ選手たちの相次ぐ引退もあり、杉山愛が日本女子テニスリードをしてきた。

2008年に37歳にしてプロ登録をし復帰したのも世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるためであると記者会見で語った。



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008年5月4日



●伊達公子の言葉テニスの伊達公子さん(今はクルム伊達公子というんですね)が 12年ぶりに競技生活に復帰して驚きの大活躍・・・ まさかここまでやるとは思わなかった! という声が広がっていて、私もそうなのですが グラフとのドリームマッチに向けて去年からまとまっ ...続き
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